維新150プロジェクト実行委員会 - 維新150周年記念

維新150周年記念

「長州征討」シリーズ2話

征長総督は尾張藩(徳川御三家中の筆頭格にして最大の藩であり、諸大名の中でも最高の家格を有した)

の前々藩主である徳川慶勝(8月7日、徳川茂承よりへ変更:尾張徳川家第14代・第17代当主)。

 副総督は越前藩の藩主である松平茂昭が任命された。
総督は征長について将軍より全権委任をうけ征長軍に対する軍事指揮権を掌握しています。
かなりのメンバーで長州を討伐していきますねえ

10月22日、大坂城にて征長軍は軍議をひらき、11月11日までに各自は攻め口に着陣し、11月18日に攻撃を開始すると決定した。
広島の国泰寺には総督府、筑前の小倉城には副総督府を置くことになった。将軍が最終的に長州藩へ処罰(公裁)をするが、総督は長州藩への降伏条件の決定、征長軍の解兵時期について権限をもつ。

幕府は朝敵となった長州の藩邸を没収、藩主親子に謹慎を命じた。しかし、どのような条件で長州藩へ謝罪をさせるかについては決めず、幕府や征長軍内においては厳罰的な案を含めていくつかの案が出されたという。

このとき征長軍に参加して萩口の先鋒を任されていた薩摩藩は独自の動きを見せた。
福岡藩士の喜多岡勇平、薩摩藩士の高崎兵部(高崎五六)は9月30日に岩国新湊に入った。岩国藩の吉川経幹(吉川監物)と薩摩藩は征長における交渉に入る

10月21日、高崎兵部は岩国へ宛てて、薩摩藩は長州藩のために尽力するが暴徒を処罰し、黒白を明らかとして、悔悟の念を明らかとするのが肝要であるといわれた。

 また三条実美ら五卿(以下、五卿と記す)の追放、時と場合によっては藩主親子が総督府の軍門に自ら出てくる必要があるが、まずは安心してよいという内容の手紙を送った。
手紙には高崎は京都で留守番をするが西郷吉之助が征長軍で交渉を担当するため、遠からず岩国に入るかもしれないと書かれているのであった。

このやり取りで、おやっと?思う人は歴史通です。
なぜか幕府は、長州憎しでありながら、各藩は、どうでしょう?

ここがポイントです!!
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